鷗風亭の旅だより

2026.08.26

北前船が育てた潮待ちの港|鞆の浦に残る港町繁栄の面影

鞆の浦歴史紀行

北前船が育てた潮待ちの港|鞆の浦に残る港町繁栄の面影

鞆の浦歴史紀行 Vol.6

潮待ちの港として栄えた鞆の浦には、この町を訪れ、この町から旅立ち、そしてこの町を想い続けた人々の物語が数多く残されています。
「鞆の浦歴史紀行」は、そんな鞆の浦にゆかりのある人物や出来事を、全12回にわたってご紹介していくシリーズです。

第6回は、江戸時代から明治時代にかけて日本海や瀬戸内海を行き交った「北前船」です。

鞆の浦を歩くと、常夜燈や雁木、昔ながらの町家など、今も港町らしい風景に出会うことができます。
私たちにとっては見慣れた景色ですが、その一つひとつをたどっていくと、かつて多くの船や人、物が集まった港町の姿が見えてきます。

今回は、北前船で賑わった鞆の浦と、「潮待ちの港」として発展した理由、そして今も残る港町の風景をご紹介します。

なぜ鞆の浦は「潮待ちの港」になったのか

瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦.jpg鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置しています。
エンジンを備えた船がなかった時代、航海を左右したのは風と潮でした。
鞆の浦周辺は、瀬戸内海を東西から流れてきた潮がぶつかり、潮流が変化する場所とされています。
船乗りたちはここで潮の流れが変わるのを待ち、次の港へと船を進めました。

船が港にとどまれば、人も町に滞在します。宿を取り、食事をし、必要なものを買いそろえる。
こうして人や物、情報が集まり、鞆の浦は「潮待ちの港」として発展していきました。

日本各地を結んだ「北前船」

鞆の浦の繁栄を語るうえで欠かせないのが、北前船です。

北前船は、江戸時代中期から明治時代にかけて、大阪と北海道方面を日本海経由で結び、各地の港で商品を売り買いしながら航海した商船です。
船には米や酒、塩、昆布、ニシンなど、各地のさまざまな品物が積み込まれました。

こうした北前船の寄港地の一つとして、鞆の浦にも多くの船乗りや商人が訪れました。
船が立ち寄るたびに、人や物、情報が行き交い、港町としての鞆の浦はさらに賑わいを見せていきます。

船を迎えた鞆港の仕組み

多くの船が行き交った鞆の浦には、港を支える施設が整えられていました。
現在も残る「常夜燈」「雁木」「波止」「船番所跡」「焚場跡」です。

現在も残る常夜燈、港を支える施設.jpg常夜燈は夜の船に港の位置を知らせる目印となり、そのそばにある雁木(がんぎ)は、潮の満ち引きに合わせて船を着けられる階段状の船着き場として使われていました。
さらに、港を波から守る波止(はと)、出入りする船を見張る船番所(ふなばんしょ)、船底についた貝などを焼き落として船の手入れをする焚場(たでば)など、それぞれが港の営みを支えていました。

今では町歩きの途中で何気なく目にする場所も、かつては多くの船を迎える鞆の港に欠かせない施設だったのです。

北前船が町にもたらした賑わい

港に船が集まると、その周辺には商いが生まれます。
荷物を扱う商人、船乗りたちが泊まる宿、食事を提供する店、船の修理に携わる職人。

鞆の浦では海運を背景に商業や醸造業が発展し、港の周辺には町家が建ち並びました。
船が入るたびに品物や情報が届き、人が行き交う。

鞆の浦は、潮を待つだけの場所ではなく、さまざまな商いが生まれる町へと発展していきました。
そして、この港の賑わいは、鞆ならではの産業や文化も育てていきます。

港町の繁栄から生まれた鞆の文化

鞆の浦を代表する名産保名酒.jpg全国から人や物が集まった鞆の浦では、海運とともにさまざまな産業や文化が育まれました。
その一つが、現在も鞆の浦を代表する名産として知られる「保命酒」です。
江戸時代に生まれ、港町の歴史とともに受け継がれてきました。

また、北前船が運んだのは品物だけではありません。
各地から訪れる人々との交流を通して、食や風習、さまざまな情報も町へ入ってきました。
今も残る商家や名産品をたどると、かつての港の賑わいが、今の鞆の暮らしにつながっていることが感じられます。

今も港に残る「潮待ち」の風景

鞆の浦の港を歩いていると、今もあちらこちらに、かつての港町の姿を伝えるものが残っています。
常夜燈の足元から海へ続く雁木も、その一つです。

常夜燈の足元から海へ続く雁木.jpg潮が満ちれば石段の多くが海に隠れ、潮が引くと、普段は見えないところまで姿を現します。
その日の潮によって港の景色が変わるのは、今の鞆でも変わりません。

かつてここに寄港した船乗りたちは、こうした潮の動きを見ながら、次の航海へ出る時を待っていたのでしょう。
港の周辺には、常夜燈や雁木のほか、波止、船番所跡、焚場跡も残されています。

北前船で賑わった頃の鞆を知ったあとに歩いてみると、何気なく通っていた港にも、船とともに栄えた町の歴史が感じられます。
鞆の浦を散策される際は、建物や町並みだけでなく、その日の潮の満ち引きにも目を向けてみてください。
潮の具合によって少しずつ表情を変える港の景色も、鞆の浦ならではの楽しみです。

潮を待った時間が育てた港町

北前船の時代、多くの船乗りたちは鞆の浦で潮が変わるのを待ちました。
その間に人が町へ入り、商いが生まれ、各地の品物や文化が行き交う。

船が出港するまでの「待つ時間」が、鞆の浦を豊かな港町へと育てていきました。
北前船が行き交った時代から長い年月が過ぎた今も、港や町並みにはその歴史が受け継がれています。

ホテル鷗風亭から港へ足を延ばし、潮の満ち引きを眺めながら歩いてみる。
そんな何気ない町歩きの中にも、「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦の面影を感じていただけるはずです。
ぜひ、いつもの鞆の浦とは少し違った視点で、港町の風景を楽しんでみてください。

次回の「鞆の浦歴史紀行」では、海を越えて鞆の浦を訪れた朝鮮通信使と、この港町に残された交流の物語をご紹介します。

【参考資料】

▷ 福山市「鞆町の歴史(近世)」
▷ 福山市「鞆町の歴史(位置と自然)」
▷ 文化庁 日本遺産「瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町 ~セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦~」
▷ 文化庁 日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」

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