2026.07.22
崖の上のポニョの舞台・鞆の浦|聖地巡礼スポット完全ガイド
鞆の浦観光ガイド
瀬戸内海に面した、広島県福山市の小さな港町・鞆の浦(とものうら)。江戸時代の面影を残す町並みと、穏やかな海の景色が今も息づくこの町は、スタジオジブリの映画『崖の上のポニョ』の舞台のモデルと言われる場所として知られ、いまも全国からポニョの聖地巡礼に多くの人が訪れています。
『崖の上のポニョ』と鞆の浦を結ぶきっかけとなったのは、宮崎駿監督がこの町で過ごした時間。監督はしばらくの間、海を見下ろす崖の上の一軒家で、鞆の浦の穏やかな海や港の景色に囲まれた日々を送りました。そのひとときは、『崖の上のポニョ』を語るうえで欠かせないエピソードの一つです。 監督もまた、この風景を眺めながら過ごしていた――そう思うと、港に立つだけで、どこか感慨深いものがありますね。
この記事では、『崖の上のポニョ』の聖地巡礼スポットを中心に、ハリウッド映画やドラマのロケ地、さらに坂本龍馬ゆかりの史跡や戦国時代の歴史まで――鞆の浦という港町がまとう幾つもの物語を、ゆっくりご案内していきます。
崖の上のポニョと鞆の浦 ― 宮崎駿監督が2か月を過ごした港町
監督が鞆の浦にたどり着いた経緯
宮崎駿監督が鞆の浦と出会ったのは、2004年11月。スタジオジブリの社員旅行でこの町を訪れ、その景色を気に入ったことがきっかけでした。翌2005年の春には、鞆の海に面した崖の上の一軒家に約2か月間滞在。さらに2006年の夏にも、この地で過ごしたと伝えられています。
滞在中、監督は妻から「毎日絵手紙を出すこと」を条件にされていた――そんなエピソードも残っています。海辺の家で、この町の景色を眺め、その風景を絵手紙にしたためる日々。穏やかな海と港町の風景の中で過ごした時間が、宮崎監督にとって心に残るひとときになったのかもしれません。その後、2008年に公開された『崖の上のポニョ』は、鞆の浦とのつながりが語られる作品の一つとなりました。
なぜ「ポニョの舞台のモデル」と言われるのか
鞆の浦はしばしば「ポニョの舞台」と呼ばれますが、正確には、作中の町がそのまま描かれているわけではありません。宮崎駿監督がこの町で過ごし、そこで触れた空気や景色が物語の背景やイメージにつながった――いわば「舞台のモデル」となった土地、と表現するのがふさわしいでしょう。
瓦屋根が連なる家並み、海へせり出すように立つ家々、港を見下ろす高台。宗介とポニョが暮らす海辺の町の空気感と、鞆の浦の風景はどこか重なって見えます。だからこそ、多くのファンはこの町を歩きながら、あの物語の断片を探すのです。

海から見る常夜燈 ― ポニョの世界を思わせる風景
鞆の浦を訪れたら、ぜひ港のシンボル・常夜燈のそばに立ってみてください。1859年(安政6年)に建てられたこの常夜燈は、海中の石積みまで含めた高さが約12.1メートルあり、港に建つ常夜燈としては日本一の大きさを誇ると言われています。
とりわけ印象的なのが、渡船などから海側を振り返ったときの眺めです。常夜燈と、その背後に広がる港町のたたずまい。穏やかな海のうえにゆっくりと開けていくその景色は、どこかポニョの世界で描かれた港の情景を思い起こさせます。宮崎監督も、この港と海の風景を眺めながら鞆の浦で過ごしていたのだろうか――そんな想像がふくらむ場所です。

【保存版】ポニョ聖地巡礼スポットガイド
ここからは、実際に歩いて巡りたい『崖の上のポニョ』の聖地巡礼スポットをご紹介します。鞆の浦は、昔ながらの町並みが残るコンパクトな港町で、路地を歩きながら、気になる場所に立ち寄る楽しみ方ができます。先ほどご紹介した常夜燈をはじめ、町にはほかにも、『崖の上のポニョ』の世界や物語の空気を感じられる場所が点在しています。

鞆の浦観光情報センター(ともてつバスセンター)と、町に隠れたポニョ
鞆の浦観光情報センター(ともてつバスセンター)は、観光案内の拠点であり、聖地巡礼のスタートにもぴったりの場所。館内には、宮崎駿監督の直筆サインが飾られており、ジブリファンならぜひ立ち寄りたいスポットです。そして町を歩いていると、お店の軒先や店内などに、そっと飾られたポニョを見つけることも。宝探しをするような気持ちで「隠れポニョ」を探しながら歩けば、町歩きがより楽しくなります。

沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)
「ぬなくま」と読む、鞆の浦に古くから鎮座する神社。
境内の静かな空気や、参道から見える町並みも魅力のひとつで、『崖の上のポニョ』では、町が水に包まれた場面で登場する船の幟旗に「沼名前」と描かれており、この神社とのつながりを感じるファンもいます。ゆっくり境内を歩いてみると、穏やかな時間が流れ、鞆の浦らしい空気をそっと伝えてくれます。

医王寺(いおうじ)と太子殿からの眺め
山の中腹に建つ医王寺は、鞆の浦を見渡せる人気の展望スポット。本堂の脇から583段の石段を上っていくと、太子殿(たいしでん)にたどり着きます。石段はそれなりに急なので、歩きやすい靴で訪れるのがおすすめです。
ここから振り返ると、湾に沿って家々が立ち並ぶ港町と穏やかな瀬戸内海。『崖の上のポニョ』に登場する港町を思わせる、高台ならではの絶景が広がります。

御舟宿いろは(旧魚屋萬蔵宅)
海沿いに建つ趣のある町家で、幕末には坂本龍馬が「いろは丸事件」の賠償交渉(談判)を行った場所のひとつとして知られています。実は現在の建物は、宮崎駿監督が描いたデザイン画をもとにリノベーションされたもの。宮崎駿監督と坂本龍馬――まったく異なる時代と物語が、この一軒の町家で静かに交差しているのです。鞆の浦という町の奥深さを、いちばん感じられる場所かもしれません。

旧楢村幸男美術館
鞆の浦の町を歩いていると、高台に見える赤い屋根の建物が目に入ります。旧楢村幸男美術館(現在は休館中)は、ファンの間で『崖の上のポニョ』に登場する宗介の家を思わせる場所として知られています。海を見下ろす場所に建つ赤い屋根は、町並みの中でもひときわ印象的な存在。町歩きの途中でふと見上げた先にあるその姿に、映画のシーンを思い浮かべるのも楽しみ方のひとつです。

海沿いの漁村風景と造船所
路地を抜けて海へ向かうと、多くの漁船が並ぶ港と、そのすぐ後ろに山が迫る鞆の浦らしい風景が広がります。港のすぐそばまで山が迫り、坂に沿って家々が並ぶ町並みは、主人公・宗介が暮らす『崖の上のポニョ』の港町を思わせる景色です。
映画のシーンを思い浮かべながら海沿いをゆっくり歩き、宗介やポニョが暮らす世界に思いを重ねてみるのもおすすめです。鞆の浦ならではの穏やかな空気や町の暮らしを、きっと身近に感じられるはずです。
鞆の浦の魅力は、今も人々の暮らしが息づく港町であること。
ご紹介したスポットの多くは、現役の寺社や私有地、生活の場でもあります。巡る際は、私有地に立ち入らない、写真撮影のマナーを守るなど、地域の方への気配りを忘れず、『崖の上のポニョ』の聖地巡礼を楽しんでくださいね。
ポニョだけじゃない ― 鞆の浦は映画・ドラマのロケ地
『崖の上のポニョ』の舞台のモデルと言われる鞆の浦。宮崎駿監督が滞在し、作品の着想を得たとされるこの町は、実はほかにも数多くの映画やドラマのロケ地に選ばれてきました。ここでは、代表的な作品をご紹介します。
ハリウッド映画『ウルヴァリン:SAMURAI』
2013年に公開されたハリウッド映画『ウルヴァリン:SAMURAI』は、2012年8月下旬から9月中旬にかけて鞆の浦でロケが行われました。主演は、シリーズでおなじみのヒュー・ジャックマン。常夜燈から太田家住宅、圓福寺周辺などで大規模な撮影が行われ、滞在中には家族で町を散策したというエピソードも残っています。作品を観たあとに町を歩けば、スクリーンに映った風景を探しながら巡る楽しみも味わえます。

日曜劇場『流星ワゴン』
2015年1月から3月にかけてTBS系で放送された日曜劇場『流星ワゴン』は、直木賞作家・重松清さんの同名小説が原作のドラマです。瀬戸内海沿岸の数ある候補地のなかから、ドラマのロケ地として選ばれた鞆の浦では、先ほどご紹介した医王寺をはじめ、町のあちこちで撮影が行われました。常夜燈周辺にはドラマの印象的なシーンに登場した場所も多く、今も作品の雰囲気を感じながら散策を楽しめます。

そのほかにも、数多くの作品のロケ地に
鞆の浦は、ここまでにご紹介した作品のほかにも、数多くの映画やドラマ、ミュージックビデオのロケ地に選ばれてきました。公式のロケ実績で確認できるものだけでも、次のような作品があります。
2005年:火垂るの墓(終戦60年特別ドラマ)
2006年:金田一耕助シリーズ「悪魔が来たりて笛を吹く」(ドラマ)
2013年:潔く柔く(映画/長澤まさみ・岡田将生出演)
2013年:鞆の浦慕情(ミュージックビデオ/岩佐美咲)
2015年:探偵ミタライの事件簿 星籠の海(映画/福山市制100周年記念作品)
2017年:銀魂(実写映画/小栗旬主演)
2023年:正欲(映画/朝井リョウ原作)
2023年:アビが鳴く(ミュージックビデオ/ポルノグラフィティ)
※年は撮影年ベース。公開年と異なる場合があります。
このほかにも、鞆の浦では多くの作品が撮影されています。江戸時代の面影を残す町並みと、穏やかな瀬戸内海の景色。その変わらない風景が、時代やジャンルを問わず、多くの映像作品のつくり手たちを惹きつけ続けているのでしょう。

【番外編】鞆の浦は歴史の舞台でもある
ポニョの聖地として、そして数多くの映画・ドラマのロケ地として知られる鞆の浦ですが、この町の魅力はそれだけではありません。ここからは少し寄り道して、鞆の浦が歩んできた長い歴史をのぞいてみましょう。
潮の流れを待つ「潮待ちの港」として
帆船が主役だった時代、船は潮の流れを利用して航海していました。瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦は、東西からの潮の流れが切り替わる要衝。
そのため、多くの船がここで潮待ちをし、出航の時を待っていたことから、「潮待ちの港」として栄えました。
こうして人や物が行き交う港町となった鞆の浦は、江戸時代には瀬戸内海を代表する港のひとつへと発展します。江戸後期の儒学者・頼山陽はこの地の美しい景色を「山紫水明」と称え、名産の薬味酒「保命酒(ほうめいしゅ)」も、多くの旅人や船乗りに親しまれていたと伝わります。

坂本龍馬と「いろは丸事件」
幕末の1867年(慶応3年)、坂本龍馬たちが乗った海援隊の船「いろは丸」は、紀州藩の大型船「明光丸」と瀬戸内海で衝突し、沈没してしまいます。世に言う「いろは丸事件」です。その後、龍馬たちは鞆に上陸し、紀州藩との賠償交渉を重ねました。その交渉の舞台となった場所として、福禅寺・対潮楼や先ほどご紹介した御舟宿いろはなどが伝えられています。
幕末の激動を駆け抜けた坂本龍馬が、この静かな港町で難しい交渉に臨んでいた――そう思うと、鞆の浦の景色もまた違って見えてくるかもしれません。

戦国の世 ― 「室町幕府は鞆に始まり、鞆に終わる」
鞆の浦は、戦国時代にも日本の歴史を大きく動かした舞台となった町です。かつて足利尊氏がこの地で新田義貞討伐の院宣(天皇の命令書)を受けたことが、室町幕府の始まりにつながったと伝えられています。そして時代がくだり、織田信長に京都を追われた15代将軍・足利義昭は、1576年(天正4年)に毛利氏を頼って鞆へ移り、ここで「鞆幕府」を開きました。義昭が将軍職を返上する1588年(天正16年)まで、鞆は室町幕府の"最後の拠点"であり続けたのです。
「室町幕府は鞆に始まり、鞆に終わる」――そんな言葉でも語られるように、この小さな港町は日本の歴史に深く関わってきたのです。

アクセスと巡り方のヒント
鞆の浦へは、JR福山駅からバスで約30分。終点の「鞆港」バス停周辺が観光の中心で、今回ご紹介したスポットも徒歩で巡ることができます。町はコンパクトなので、のんびり散策しながら歩くのがおすすめです。なお、仙酔島へは鞆港から渡船が運航しています。
ご紹介したスポットは、半日から1日あればゆっくり巡れる範囲にあります。時間に余裕があれば、常夜燈の周辺で夕暮れまで過ごしてみるのもおすすめです。日が傾き、常夜燈に明かりが灯るころの港町は、昼間とはまた違った趣ある表情を見せてくれます。
宿泊も含めて旅行の計画を立てたい方や、観光ルートをしっかり決めてから巡りたい方、グルメや観光スポットもあわせて楽しみたい方は、別記事でご紹介予定のモデルコースもぜひ参考にしてみてください。

まとめ
『崖の上のポニョ』の舞台のモデルとなり、ハリウッド映画やドラマのロケ地となり、そして幕末や戦国の歴史の舞台にもなった鞆の浦。小さな港町を歩いていると、その景色のあちこちに、さまざまな時代の物語が息づいていることに気づきます。
宮崎駿監督がこの町で過ごし、『崖の上のポニョ』の着想を得た地といわれる鞆の浦。穏やかな海と昔ながらの町並みは、今も変わらず訪れる人々をやさしく迎えてくれます。
あの日、宮崎駿監督が眺めた鞆の浦の海を、今度はあなたの目で。
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