鷗風亭の旅だより

2026.08.21

足利尊氏と鞆の浦|室町幕府の始まりを支えた港町の物語

鞆の浦歴史紀行

足利尊氏と鞆の浦|室町幕府の始まりを支えた港町の物語

鞆の浦歴史紀行 Vol.3

潮待ちの港として栄えた鞆の浦には、この町を訪れ、この町から旅立ち、そしてこの町を想い続けた人々の物語が数多く残されています。
「鞆の浦歴史紀行」は、そんな鞆の浦にゆかりのある人物や出来事を、全12回にわたってご紹介していくシリーズです。

第3回は、室町幕府を開いた武将・足利尊氏(あしかが たかうじ)。

京都や鎌倉の印象が強い足利尊氏ですが、実はここ鞆の浦にも、その生涯を大きく動かした足跡が残されています。鞆で日々お客様をご案内している私たちにとっても、普段何気なく眺めている町や寺院が、700年近く前の歴史につながっていることには、改めて驚かされます。1336年(建武3年)、九州へ向かう途中の尊氏は、この地で光厳(こうごん)上皇の院宣を受け取りました。さらに九州で勢力を立て直したのち、京都へ攻め上る前にも鞆へ立ち寄り、軍議を開いたと伝えられています。

後に「足利氏は鞆に興り、鞆に亡ぶ」と語られるほど、足利氏と深い縁で結ばれた鞆の浦。今回は、尊氏がこの港町でつかんだ再起への道と、今も町に残る足跡をご紹介します。

時代の大きな転換点を生きた足利尊氏

足利尊氏が活躍した14世紀前半は、鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇による新しい政治が始まった激動の時代でした。鎌倉幕府の倒幕に加わった尊氏は、その後、後醍醐天皇の政権と対立するようになります。

京都での戦いに敗れた尊氏は、西へ退いて九州を目指しました。追われる立場となった尊氏にとって、この道のりは再起できるかどうかを左右する、まさに正念場だったことでしょう。

足利尊氏も立ち寄った瀬戸内海の要港・鞆の浦.jpgその途中で立ち寄ったのが、瀬戸内海の要港・鞆の浦でした。穏やかな海が広がる現在の風景からは想像しにくいものの、当時の鞆には、歴史の行方を変える知らせが届けられようとしていました。

鞆の浦で受け取った再起を支える「院宣」

1336年(建武3年)、尊氏は鞆の浦で光厳上皇の院宣を受け取りました。院宣とは、上皇の意向を伝える公的な文書です。

『梅松論(ばいしょうろん)』によると、この院宣によって尊氏は朝敵の汚名を返上し、その気勢は大いに高まったといいます。それまで追われる側にあった尊氏にとって、上皇の意向を得たことは、味方を集めて再び立ち上がるための大きな支えとなりました。

一通の文書が、人の立場を変え、集まる兵の心を動かし、その後の戦いの流れまでも変えていく。鞆の浦で院宣を受け取った出来事は、尊氏の再起と、その先に続く室町幕府の成立を考えるうえで重要な転機となったのです。

九州で勢力を立て直し、再び鞆へ

鞆の浦を発った尊氏は九州へ向かい、多々良浜(たたらはま)の戦いに勝利して勢力を立て直します。そして京都を目指して東へ進む途中、再び鞆の浦へ立ち寄りました。

福山市の資料によると、尊氏はここで京都へ攻め上るための最後の軍議を開き、軍勢を海路と陸路の二手に分けて進軍することを決めたとされています。瀬戸内海を進む船団と、山陽道を進む軍勢。その大きな作戦が練られた場所が鞆の浦でした。

その後、尊氏は京都へ入り、1338年(暦応元年)に征夷大将軍となります。室町幕府が実際に開かれたのは京都ですが、尊氏が再起の力を得て、東へ進む決意を固めた鞆の浦は、その始まりを支えた港町の一つといえるでしょう。

なぜ鞆の浦が歴史の舞台となったのか

尊氏が九州へ向かうときにも、京都へ戻るときにも鞆の浦へ立ち寄った背景には、この町が瀬戸内海航路の重要な港であったことが関係しています。

風待ち、潮待ちの港として古くから多くの船が集まる鞆の浦の港.jpgかつての船は、潮や風の力を読みながら航海していました。瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦は、潮の流れが変わるのを待つ「潮待ち」、風向きを待つ「風待ち」の港として、多くの船が集まる場所でした。人や物だけでなく、各地の情報も行き交ったことでしょう。

船を整え、兵を休ませ、次の進路を決める。海路と陸路の結節点であった鞆の浦は、西国から京都を目指す尊氏にとって、大軍を動かすうえでも重要な場所だったと考えられます。

戦いの記憶を今に伝える備後安国寺

足利尊氏ゆかりの備後安国寺の外観.jpg尊氏と鞆の浦のつながりを今に伝える場所の一つが、備後安国寺(びんごあんこくじ)です。
安国寺は、夢窓国師の勧めにより、足利尊氏・直義(ただよし)兄弟が元弘以来の戦没者の冥福を祈るため、国ごとに設けた寺院です。鞆の浦にあった金宝寺は、1339年(暦応2年)に備後国の安国寺とされたと伝わっています。

尊氏が歩んだ道は、多くの戦いの上に築かれたものでした。戦乱で命を落とした人々を弔うという安国寺の由来に触れると、武将としての力強い姿だけではない、尊氏の時代のもう一つの側面が見えてきます。

国の重要文化財に指定されている備後安国寺の釈迦堂.jpg境内には、国の重要文化財に指定されている釈迦堂をはじめ、枯山水の庭園や広島県の天然記念物に指定されているソテツが残されています。派手な観光スポットではありませんが、静かな境内をゆっくりと歩いていると、700年近い時を重ねてきた鞆の浦の歴史を、身近に感じることができます。

小松寺と大可島に残る南北朝の記憶

尊氏が光厳上皇の院宣を受け取った場所と伝えられる小松寺(こまつじ).jpg鞆の浦には、備後安国寺のほかにも南北朝時代の記憶を伝える場所があります。
平重盛が建立したと伝わる小松寺(こまつじ)は、尊氏が光厳上皇の院宣を受け取った場所と伝えられる古刹です。室町幕府初代将軍の尊氏だけでなく、最後の将軍・足利義昭(よしあき)にもゆかりがあり、足利氏の始まりと終わりを見つめてきた寺ともいえます。

また、鞆港の東側にある大可島(たいがしま)周辺や小松寺は、南朝方と北朝方が鞆をめぐって争った舞台でもありました。1349年(貞和5年)には、尊氏の子・足利直冬(ただふゆ)が中国探題として大可島城に入り、短い期間ながら鞆の浦が中国地方8か国の政治の中心となったとされています。

鞆港の東側にある大可島(たいがしま)周辺.jpg現在は静かな寺院や港の風景となっていますが、その足元には、武将たちが行き交い、激しい戦いが繰り広げられた中世の記憶が重なっています。今では、港では漁船が行き交い、町では地元の人々が暮らしています。

そんな何気ない日常の風景の中に、700年近く前の歴史が息づいているところも、鞆の浦のおもしろさなのかもしれません。

細い路地や昔ながらの町家、港に立つ常夜燈を眺めながら、今も残る龍馬の足跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。

「足利氏は鞆に興り、鞆に亡ぶ」

室町幕府の初代将軍・足利尊氏が再起への力を得た鞆の浦には、約240年後、最後の将軍・足利義昭もたどり着きます。

織田信長によって京都を追われた義昭は、1576年(天正4年)に毛利氏を頼って鞆へ入り、ここから幕府の再興を目指しました。義昭を中心とした鞆での政治的な動きは、後に「鞆幕府」と呼ばれることもあります。

初代の尊氏が院宣を受け取った町へ、最後の将軍である義昭が再起を願って身を寄せる。こうした歴史から、鞆の浦は「足利氏は鞆に興り、鞆に亡ぶ」と語られるようになりました。

一つの港町が、室町幕府の始まりと終わりの双方に深く関わっていることも、鞆の浦の歴史の奥深さを物語っています。

歴史をたどりながら歩く鞆の浦

足利尊氏の物語を知ってから鞆の浦を歩くと、いつもの港の風景が少し違って見えてきます。

小松寺では、再起をかけて院宣を受け取った尊氏に思いを馳せ、備後安国寺では、戦乱で命を落とした人々への祈りに触れてみてください。どちらも派手な観光スポットではありませんが、静かな境内に身を置き、その場所に刻まれた時間をじっくりと感じられる寺院です。

さらに港へ足を延ばせば、南北朝の争いの舞台となった大可島を望むことができます。

歴史を感じる鞆らしい風景が残っている町並み.jpg鞆の浦を歩くなら、港沿いだけでなく、少し路地の中にも入ってみてください。私たちスタッフがお客様によくおすすめしているのも、こうした歴史ある寺院や路地を巡る町歩きです。目的地までの道そのものにも、昔ながらの町家や石垣など、鞆らしい風景が残っています。

二度の寄港が時代を動かした鞆の浦

尊氏が鞆の浦を訪れたのは、追われるように九州へ向かう途中と、勢力を立て直して京都へ進軍する途中でした。

先の見えない状況で鞆にたどり着いた一度目。そして、再起を果たし、多くの軍勢を率いて戻ってきた二度目。同じ港を訪れながら、尊氏の目に映る景色はまったく異なっていたことでしょう。

潮の流れが変わるのを待ち、次の航路へと船を進めてきた鞆の浦。その港の歴史は、尊氏が一度立ち止まり、再び前へ進んだ姿とも重なります。

ホテル鷗風亭へお越しの際は、小松寺や備後安国寺を訪ね、尊氏が二度にわたって見つめた瀬戸内の海にも目を向けてみてください。鞆の浦は、車で通り過ぎるよりも、少し歩いてみることで歴史が身近に感じられる町です。港を歩き、寺院を訪ね、ふと海を眺める。そんな何気ない時間の中に、700年近く前の物語が重なります。

次回の「鞆の浦歴史紀行」では、万葉集に詠まれた鞆の浦を、大伴旅人と「むろの木」の物語とともにご紹介します。

【参考資料】

▷ 福山市「鞆町の歴史(古代から中世)」
▷ 福山市「歴史と鞆」
▷ 福山市「安国寺阿弥陀如来及び両脇侍立像 ―歴史を見守り続けた本尊―」
▷ 福山観光コンベンション協会「小松寺」
▷ 広島県「千年の歴史をもつ港町『鞆の浦』その魅力とは?」

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