2026.08.07
森下仁丹創業者・森下博と故郷「鞆の浦」の物語
鞆の浦歴史紀行
鞆の浦歴史紀行 Vol.1
潮待ちの港として栄えた鞆の浦には、この町を訪れ、この町から旅立ち、そしてこの町を想い続けた人々の物語が数多く残されています。
「鞆の浦歴史紀行」は、そんな鞆の浦にゆかりのある人物や出来事を、全12回にわたってご紹介していくシリーズです。
第1回は、森下博(もりした ひろし)。
森下博は、口中清涼剤「仁丹」で知られる森下仁丹の創業者であり、鞆の浦に生まれ育った実業家です。
実業家として大きな成功を収める一方、生涯にわたって故郷・鞆の浦を愛し、学校や公共施設の整備など、町の発展に多くの力を注ぎました。
その功績から、今も地元では「鞆の大恩人」として親しまれています。
港町・鞆の浦から始まった人生
1869年(明治2年)11月3日、森下博は現在の広島県福山市鞆町で生まれました。
当時の鞆の浦は、瀬戸内海を行き交う船で賑わう港町でした。全国から人や文化が集まるこの町で育ったことは、後に大きな夢を抱く少年に少なからず影響を与えたのかもしれません。
一方で、家業は決して順風満帆ではありませんでした。9歳で学校を離れ、備後府中の煙草商へ奉公に出た博は、煙草づくりだけでなく農作業や牛の世話にも励み、幼い頃から働くことの厳しさを学びます。
こうした経験が、後に森下仁丹を創業する実業家・森下博の原点となっていきました。
学びへの情熱が、未来を切り開く
奉公を終えた博は、再び学ぶ機会を得ます。
その頃に出会ったのが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』でした。身分にとらわれず、自ら学び、自ら道を切り開くという新しい時代の考え方は、少年だった博に大きな衝撃を与えます。
しかし、その学びは長く続きませんでした。父の病気により鞆へ戻ることになり、さらに15歳で父を亡くすと、森下家十五代当主として家業を背負うことになります。
それでも、博が抱いた向学心は消えることはありませんでした。
父の三回忌を終えた後、さらなる可能性を求めて単身大阪へ。新しい時代へ踏み出したその決断が、後に森下仁丹を創業する実業家への第一歩となりました。
実業家として成功しても、心はいつも故郷・鞆の浦に
大阪で実業家として成功を収めた森下博は、「仁丹」の発売によって全国にその名を知られる存在となりました。
それでも、博の心にはいつも生まれ育った鞆の浦がありました。
故郷への感謝を形にするように、観光鯛網への支援や小学校の教育基金の創設、社寺の改修への寄付など、町の未来につながる数多くの事業を支え続けます。
こうした功績から、森下博は今も「鞆の大恩人」として地元の人々に語り継がれています。
今も鞆の浦に息づく、森下博の足跡
森下博が故郷へ遺した功績は、今も鞆の浦の町のあちこちに残されています。
鞆の浦を散策すると、森下博の銅像や功績をたたえる石碑、ゆかりの場所に出会うことができます。一つひとつを訪ねながら歩いていると、この町を愛し、その未来のために力を尽くした森下博の想いが、今も静かに受け継がれていることを感じられます。
歴史ある町並みや瀬戸内海の穏やかな景色を楽しむだけでなく、こうした物語に触れながら歩くと、鞆の浦の魅力はより一層深く感じられることでしょう。
ホテル鷗風亭へお越しの際は、ぜひ歴史散策も旅の楽しみの一つとして、森下博ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。
今も町角に残る『森下仁丹』のホーロー看板
森下博と鞆の浦のつながりは、今も町の中に息づいています。
2014年、森下仁丹は創業者・森下博の生誕地である鞆町との地域振興プロジェクトの一環として、町名を記したホーロー看板15枚を鞆町に寄贈しました。
看板には、森下仁丹のトレードマークとして知られる「大礼服マーク」も描かれています。
寄贈された看板は町内各所に設置され、現在も鞆の浦の町角で見ることができます。
昔ながらの町並みに残る、どこか懐かしいホーロー看板。
鞆の浦を歩く際には、歴史的な建物や石碑だけでなく、町角に残るホーロー看板にもぜひ目を向けてみてください。
「こんなところに仁丹の看板が!」と、町歩きの途中で見つけるのも楽しみの一つです。
※ホーロー看板:金属板にガラス質の釉薬を焼き付けた看板。耐久性に優れ、昭和の時代には広告看板として広く使われました。
森下仁丹を身近に感じられるお土産も
歴史散策を楽しんだあとは、森下仁丹をより身近に感じられるお土産はいかがでしょうか。
ホテル鷗風亭の売店では、森下仁丹ののど飴も販売しております。旅の思い出としてはもちろん、ご家族やご友人へのお土産にもおすすめです。
鞆の浦ゆかりの実業家・森下博に思いを馳せながら、ぜひ売店でもご覧ください。
歴史を知ると、町歩きはもっと楽しくなる
鞆の浦には、森下博をはじめ、坂本龍馬や足利尊氏、朝鮮通信使など、多くの歴史人物ゆかりの場所が今も大切に残されています。
歴史を知ってから町を歩くと、何気なく見ていた石碑や町並み、港の風景にも新たな意味が生まれます。「ここでこんな出来事があったのか」「この景色を同じように眺めていたのか」と思いを巡らせながら歩く時間は、鞆の浦ならではの楽しみ方の一つです。
ホテル鷗風亭へお越しの際は、美しい瀬戸内海の景色や歴史ある町並みとともに、先人たちが歩み、守り続けてきた鞆の浦の物語にもぜひ触れてみてください。
次回の「鞆の浦歴史紀行」では、坂本龍馬と鞆の浦にまつわる物語をご紹介します。
【参考サイト】
▷ 森下仁丹百年物語|森下仁丹株式会社
▷ 初夏の風物詩「鞆の浦 観光鯛網」に森下仁丹が今年も協賛。 | 森下仁丹株式会社のプレスリリース
▷ 京都仁丹樂會:鞆の浦 仁丹探訪記(5)
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