2026.10.01
鞆の浦・沼名前神社と信仰|お手火神事に受け継がれる港町の祈り
鞆の浦歴史紀行
鞆の浦歴史紀行 Vol.10
潮待ちの港として栄えた鞆の浦には、この町を訪れ、この町から旅立ち、そしてこの町を想い続けた人々の物語が数多く残されています。
「鞆の浦歴史紀行」は、そんな鞆の浦にゆかりのある人物や出来事を、全12回にわたってご紹介していくシリーズです。
第10回は、鞆の浦の人々から「祇園さん」と親しまれてきた「沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)」。
鞆の浦というと、常夜燈や雁木、昔ながらの町家が並ぶ港周辺を思い浮かべる方も多いかもしれません。
そこから少し町の中へ入り、石段を上った先にあるのが沼名前神社です。
地元では今も「祇園さん」の名で親しまれ、祭りや日々の参拝を通して鞆の人々の暮らしと深く結びついています。
夏の「お手火神事」をはじめ、お弓神事や秋祭りなど、鞆の人々が長く大切にしてきた行事とも深く結びついています。
今回は、沼名前神社の歴史をたどりながら、海とともに暮らしてきた鞆の人々の祈りや、今も続く祭りをご紹介します。
『延喜式』にも記された沼名前神社
沼名前神社の名は、平安時代の927年(延長5年)にまとめられた『延喜式』の神名帳にも記されています。
鞆の浦が文献に登場するのは、それより約200年前の『万葉集』の時代。これまでの「鞆の浦歴史紀行」でもご紹介したように、730年(天平2年)には大伴旅人が鞆の浦の「むろの木」を歌に詠んでいます。
その後の『延喜式』に沼名前神社の名が見られることからも、鞆が古くから港としてだけでなく、人々の暮らしや祈りの場を持つ土地であったことがうかがえます。
現在の沼名前神社は、境内に鎮座していた祇園社と渡守社が1875年(明治8年)に合併し、「沼名前神社」と称するようになったものです。
祭神は、海上安全の神として信仰される大綿津見命(おおわたつみのみこと)と、無病息災を願う須佐之男命(すさのおのみこと)。
海とともに暮らしてきた鞆の町らしい二柱の神様が祀られています。
海で働く人々を見守ってきた神様
今でこそ穏やかな瀬戸内海を眺めながら観光を楽しめる鞆の浦ですが、かつて海へ出ることは今以上に危険を伴うものでした。
風や潮の変化を読みながら船を進める船乗りにとって、無事に港へ戻ることは決して当たり前ではありません。
前回ご紹介した常夜燈にも航海安全への願いが残されていますが、沼名前神社でもまた、人々は海の安全を願ってきました。
北前船や商船、漁船など多くの船が行き交った鞆では、港で働く人だけでなく、その帰りを待つ家族にとっても、海上安全への願いは身近なものだったはずです。
現在、港を歩いていると漁船が出入りし、渡船が仙酔島へ向かういつもの風景があります。そのすぐ近くで、海の安全を願う信仰が長く続いてきたことを知ると、鞆の浦と海との関わりがまた少し違った角度から見えてきます。
鞆の夏を代表する「お手火神事」
沼名前神社を語るうえで欠かせないのが、毎年7月に行われる「お手火神事」です。福山市の無形民俗文化財に指定されている、鞆の浦を代表する伝統行事の一つです。
お手火神事当日の様子や見どころは、こちらの記事でも詳しくご紹介しています。
▶ 日本三大火祭り「お手火神事」の魅力|夏の鞆の浦で出会う、心に残る一夜
長さ約4.5メートル、重さ150キログラムを超える大手火に火が灯され、担ぎ手たちが境内を練り歩きます。
燃え上がる炎、舞い上がる火の粉、境内に響く掛け声。普段の沼名前神社を知っている私たちでも、この日ばかりはまったく違う場所のように感じます。
お手火は、ただ迫力を楽しむ火祭りではありません。須佐之男命の神輿渡御に先立ち、松明の火によって神輿が通る場所を清める神事として受け継がれてきました。
ホテル鷗風亭でも、夏になると「お手火を見に行きたい」というお客様がいらっしゃいます。神社までは徒歩で向かうことができ、町を歩いているうちに少しずつ人が増え、神事が始まる前の独特の雰囲気に変わっていきます。
昼間の穏やかな境内と、炎に照らされる夜の境内。同じ場所とは思えないほど印象が変わるのも、お手火の日ならではです。
お弓神事や秋祭りも受け継がれています
沼名前神社では、お手火以外にも一年を通してさまざまな祭りや神事が行われています。
2月に行われる「お弓神事」は、その年の平穏を願い、前年の悪鬼を射払う古式ゆかしい行事です。
6月30日には、半年間のけがれを祓い、残り半年の無病息災を願う「茅の輪くぐり」も行われます。
秋には山車が町を巡る「チョウサイ」と呼ばれる祭りもあり、鞆の町は普段とは違った賑わいを見せます。
こうした行事を見ていると、沼名前神社が「昔からある観光名所」というだけではなく、今も鞆の人たちの暮らしの中にある神社なのだと感じます。
祭りの日には町の人たちが準備をし、子どもから大人まで多くの人が関わります。毎年同じ時期になると自然と人が集まり、次の世代へと受け継がれていく。
沼名前神社を中心に続いてきた祭りからは、鞆という町の一面も見ることができます。
秀吉ゆかりの能舞台
境内を訪れたら、ぜひ見ていただきたいのが国の重要文化財に指定されている「能舞台」です。
この能舞台は、能を好んだ豊臣秀吉が京都・伏見城に設けたものと伝えられています。
その後、福山藩初代藩主・水野勝成が二代将軍徳川秀忠から譲り受け、福山藩三代藩主・水野勝貞によって沼名前神社へ寄進されました。
特徴は、もともと分解して持ち運ぶことができる「移動式能舞台」だったこと。現在は固定されていますが、移動式の仕組みを残す能舞台として国内唯一のものとされています。
神社の境内に立つ能舞台を初めてご覧になったお客様から、「どうしてここにこんな立派な能舞台があるのですか」と聞かれることもあります。
港町の神社に豊臣秀吉ゆかりの文化財が残っている。そこからも、鞆の浦が海を通じて多くの人や文化とつながってきた町だったことが分かります。
石段を上って境内へ
沼名前神社を訪れるなら、常夜燈や雁木など港周辺を巡ったあと、そのまま町中を歩いて向かうのがおすすめです。
常夜燈や雁木を見たあと、昔ながらの町並みを通りながら神社へ。
少しずつ港の賑わいから離れ、鳥居をくぐって石段を上ると境内へ到着します。
お手火神事では炎を掲げた担ぎ手たちが上る石段も、普段はとても静かです。
実際にその場所に立ってからお手火の写真を見ると、「ここをあの大手火が上っていくのか」と、その迫力がより分かりやすく感じられます。
境内では拝殿だけを見て戻るのではなく、能舞台や石造物などにも目を向けながら、少しゆっくり歩いてみてください。港とはまた違う鞆の浦を見ることができます。
港と神社を一緒に歩く
常夜燈や雁木、北前船、朝鮮通信使など、これまで「鞆の浦歴史紀行」では海を中心に鞆の歴史をご紹介してきました。
その一方で、この町で暮らしてきた人々に目を向けると、船の安全や家族の健康、町の平穏を願う祈りもまた、鞆の歴史の一部だったことが分かります。
私たちが普段歩いている鞆の町にも、港と神社はそれほど離れずにあります。常夜燈で海を眺め、昔ながらの路地を通って沼名前神社へ向かう。
そんな順番で歩いてみると、「港町・鞆の浦」が海だけで成り立ってきた町ではないことにも気付かされます。
ホテル鷗風亭へお越しの際は、ぜひ港周辺だけでなく、少し町の中まで足を延ばしてみてください。普段の静かな境内を歩くのもよし、旅の日程が合えば祭りの日を訪れるのもよし。
長く鞆の人々に親しまれてきた「祇園さん」を訪ねることで、観光だけでは見えにくい鞆の暮らしにも触れていただければと思います。
次回の「鞆の浦歴史紀行」では、江戸時代から鞆の浦で造られてきた名産「保命酒」と、港町の文化をご紹介します。
沼名前神社 基本情報
| 所在地 | 〒720-0202 広島県福山市鞆町後地1225 |
| 参拝 | 境内自由 ※社務所等の利用時間については事前に最新情報をご確認ください。 |
| ホテル鷗風亭からのアクセス | 徒歩約10~15分 |
| 主な祭神 | 大綿津見命/須佐之男命 |
| 主な祭事 | お弓神事(2月)/茅の輪くぐり(6月30日)/お手火神事(7月)/秋祭り「チョウサイ」(9月頃) |
※祭事の日程は年によって異なります。お出かけ前に最新情報をご確認ください。
【参考資料】
▷ 福山市「鞆の浦について」
▷ 福山市「沼名前神社」
▷ 福山市「鞆町の歴史(古代から中世)」
▷ 福山市「鞆の祭・行事」
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